高文連リアル大会実施決定!そして構想について思うこと。

さぁ、久しぶりのブログです。…えっと、前回のブログはいつ書いたんだったかな…ってもう3週間くらいも前でした…!
おかしい…分散登校で結構ヒマあるかと思ってたのに…全ッ然、ヒマじゃなかったんです…。。

ほら、高橋先生も忙しく仕事しまくってました。

高文連石狩支部ブロック大会(地区大会)の今後について、各校に電話かけまくってました。お疲れさまです!!

私も、学校祭に向けていろいろ動いてまして…ま、言い訳しても仕方がないので。気を取り直してブログを書いていきたいと思います!

さて、先日は前期中間考査がありました。
考査前の放課後、少しの時間を利用して勉強会を行っていたようです。

うむ、教育実習生みたいだ…!

 
 
 
そう!朗報です!
今年度の石狩支部の支部美術展は、事務局のご尽力があり、なんとかリアル開催が可能となりました!やったね!!

その時のZOOMでの会議の様子。

私だけが矢面に立ち、川上先生・高橋先生のお二人はフレーム外で参加。
この写真を見た某高校顧問の先生には、「悪そうな雰囲気出てんなー」「スラムやスラム笑」と評されました笑
この会議、3時間もかかったんですよ。すごいですよね。みなさんそれはもう真剣に…!話し合いを…!行ったのでした…!!私は新参者なので黙ってましたけど。

で、石狩支部美術展ですが、そのXデー(搬入日)は、8月3日…!!道南支部のそれと比較するとなんと3週間も早い開催…。うーーん、早い…早すぎる…。時間、ない…。。

これまでは分散登校を余儀なくされ、ほぼほぼまともな活動が全然できなかったわけですが、緊急事態宣言が6月20日をもって終了となることを踏まえ、学校にもお願いをして、時短ではあるものの部活動の時間をなんとか確保することができることになりました。

本来的には部活動は休止の要請が出ている中ではありますが、いかんせん8月3日に高文連の出品を控える我らが美術部にとっては時間がなさすぎるんだもの…。なんせ、7月いっぱいは授業日になってしまったし…。搬入直前の「夏休み」期間なんて3日間しかないですからね。しかも講習もあるっていう…。「夏休みにがんばります!」とか言い出さないようにしてほしいものです…。

正直、本当に厳しいですね。。でも、多分札幌市内の美術部は、どこも厳しいことでしょう…。

ただ、やはり「リアル大会」、すなわち作品を札幌市民ギャラリーに展示し、作品を鑑賞できる機会が持てたのは本当に英断だと思います。
展覧会に作品を飾る。自分の作品を実際に見てもらう。他者の作品を実際に見る。そんな当たり前のことが、昨年は全くできなかったわけですから…。

高文連については、3年生は一昨年は通常通り行っていたので多少はわかるかと思います。しかし今年の1年生と2年生は初めての経験ですよね。まぁ1年生は初めてとしても、個人的に今年一番可哀想と感じるのは、やはり2年生だと思うのです。

昨年は作品の写真を撮ってそれを送り、まさにブラックボックスの中で審査が行われ、その通知が学校に届くだけ。なんていうか、入選しても落選しても、リアルに受け止めにくいというかスルーしやすいというか、単なる「情報」としてしか伝わってこない。よかったんだーダメだったんだーへーー的な。それはまるでTwitterのタイムラインを眺めるような感覚。もちろん悔しい思いは多少はあったでしょうか、正直そこには反省もなにもあったもんじゃない…。
そして全道大会もWEB開催だったため、サイトにアップされているサムネイルをクリックして開いて見るだけの、なんのリアル感もない展覧会。

要するに、経験が得られていないわけです。
自分の作った作品が人目にさらされるということの怖さを。そしてその向こうにある喜びを。

私が常々部員に言ってきたことのひとつが、制作した作品が多くの他者の作品とともに並ぶということの喜びと嬉しさがある反面、悔しさや恥ずかしさ、そして厳しさと辛さがあるんだということです。

多分ですが、そんなに本気でやっていないいわゆる「エンジョイ勢」だったら、昨年のやり方が一番気楽だったかもしれない。
だって、恥かかないですからね。どんなに突貫で適当で未熟な、いわゆる美術的に「痛い」作品を出しても、落選したら日の目を見ることもないわけですし、「へーそうなんだー」で終わります。それこそただの「情報」として一瞬でスルーできちゃったりするんです。
そういう人にとっては、「怖い」とか「恐ろしい」とか何言ってるんだろ?って思ってるかもしれませんね。

しかし、本気(ガチ)でやっていた人たちにしてみたら、逆に切実に「見てほしい!」と思っていたんじゃないかな。そりゃそうですよね。日々の時間を削りに削り、泣きたい気持ちや叫びたい思いをすべて作品に注ぎ込んで制作してきた、それこそ自分の分身、我が子のような作品をつくってきた人にとっては、見てほしいと思うのは当たり前です。
そして、講評をしてほしい、よかったところ、悪かったところを知りたい、他者が作品を実際に見ているときの反応を知りたい…!と、思うはずなんですよ、本気でやってりゃね。
…ん、いや、本気でやっていたら、逆に「本気で」見られる怖さをよく知ってるから…んーどうなんでしょうね。ま、ここは個人差でしょうか。

別にWEB開催が悪いというわけではありません。できない中で最大限やろうとして行ったわけですから、それはもう称賛に値する。事務局の皆さんは本当に大変だったと思うんです。けど、それは別のお話です。

1年生は、初めてですから何もかもわからない。だから、ここから始めればいいんです、ゴリッゴリに。
ただ、それを昨年リアルに経験していない2年生は、昨年同様の雰囲気でいいと思っているフシがあるんだな…。いろいろ話している中で、「既に1年やってきた」という謎の自負、謎の自信、謎の過信が感じられる。まぁ、3年生も同様ですが。

今年3月まで道南支部、函館にいた、「外様」である自分にしてみると、なんとまぁ恐ろしいことなんでしょう…知らないって怖いな、と感じずにはいられない。あんね、美術ってね、怖いんだよ。。だからみんな病むんだよ…自分もそうだった…。

ま、これだけ部員がいたら(現在49名…)、エンジョイ勢としてやりたいという人も多いんでしょうから、まぁ…うん。仕方がないのかな、とも思う部分もあるんですけどね。
だって誰だって気楽に評価なんてされることなく絵とか描いていたいじゃん。好きなことを好きなようにやる。何が間違ってるの?うん、何も間違ってない…。。でも、「部活」なんだもん。「美術部」なんだもん。

ゴリッゴリにやるからこそ、失敗してもそこには得られる経験がある。
本気で「悔しい」と感じるためには、それなりの熱量で取り組まないとそう思えないんです。
そして、本気で「悔しい」と思う感情があってこそ、人は成長できる。本気でやったから、「嬉しい」という喜びの感情が涙とともに溢れ出るんです。
何も本気でやることを恐れる必要はない。否定されることを恐れてはならない。そしてその本気で頑張った者にこそ、その先にあるものに気づくことができる。本気でやることは、恥ずかしいことではない。これまでのたった10数年という短い人生の中での一番の本気を出せるのが、部活動という場所なんです。だから、本気になってやってほしいな、と願うわけです。

そんなこんなだから、こっちも時間の無い中必死に少しでも話す時間を確保して部員たちと話をしたいし、聞きたい、相談に乗りたいと思ってるんです。隙間隙間で構想の相談に乗ったり、LINEで時には1時間以上も構想の話を(しかも3人とか同時に)することもあるのですが…。
んーー伝わってほしいんだけど、なかなか自分のような新参者がわーわー言ったところでその思いが全員に浸透するのはやはり難しいようです。これまでの流れもありますしね…。

確かに、こっちも実際のところはわからないですからね、部員たちが昨年どれくらいの思いと密度で取り組んできたかは…。
…でも、過去作や現在の取り組みを見れば、だいたいわかっちゃうんだけどさ。

結局、リアル大会をやってそこに時間もテーマも感じられない作品を出品することで辛い思いをするのは、誰でもない「自分」なんです。

本人たちは気づいてないのかもしれない。美術系列があり、部員数50人弱を誇る厚別高校美術部は、外からどう見られているんだろうか。どう期待されているんだろうか、ってことに。
絵画・彫刻・メディアデザインそれぞれの専門の顧問がいるなんていう公立高校の美術部は、道内には間違いなく厚別高校にしか存在しない。うーん、何も知らない人間からすると、単純に「それってすごい高校なんじゃない?」ってなりそうですよね。
それを自覚できているかどうかも、リアル大会ができなかったことによる弊害なんじゃないかと感じるんです。

まぁ傍からどう見られるかはいいとしても、制作を通して感じてほしいんです。
ここまでやってほしいな、こういうの見てみたいんだよな、大変だけどきっとそれができたらすごい自信になること間違いないんだけどな。部活で必死になって制作することを通して、普通にやっていたら絶対得られないような経験ができるんだけどな。
ひとりでも多くの人がそれを理解し、自ら感じてもらい、そしてその経験が大きな成長の糧となって、将来のなりたい自分に繋がっていくということを実感してほしいですね。

にしても、昨年の石狩支部は本当に大変だったんじゃないでしょうかね。部員のモチベーションもさることながら、顧問の先生方のモチベーションも…。
 

長くなりましたが、言いたかったことは「今年はあります、リアル大会。まだまだこれから頑張りましょう!」です。
あ、一行で終わった。。
 
 
 

さて、作品の構想についてですが、これまでたくさんの相談を受けているんですが、だいたい多いのが何を言いたいのかがさっぱりわからないというもの。
これは絵画だけではなく、彫刻だってアニメーションだって全てに通じることです。テーマ?なにそれおいしいの?必要なのそれ?って思ってる人もいるのかもしれないけれど、それは単に今までそういうことを考えたことがなかったからですな。

テーマは、重要です。最重要です。語らない作品なんて、作品じゃありません。自分だけにしかわからない自己満足自己陶酔の作品なんて、ただただ「痛い」だけです。だから、最初の最初でありながら、一番重要な要素なのです。これが固まってないと、絶対制作中に迷子になりますから。
だから私は一番最初にそこを聞いています。「なんでこれやりたいの?」って。その時点で即答できないレベルだと、絶対に困ります。事実そういう美術部員はいいだけ見てきていて、そしてそういう人はあとから絶対後悔する。もうパターンなんですって…。

絵画系でよくあるのは、過去に撮った「スナップ写真」を、なんとなくいい感じに撮れてるから描きたい、という相談。
スナップ写真というのは単なる「記録」であって、テーマを考えた「作品のための写真」ではないんですよね。写真は綺麗だけど、じゃあそれは綺麗だから描きたいの?写ってる赤ちゃんやワンちゃんがかわいいから描きたいの?日の丸構図で構図になんの工夫もないのに描きたいの?ってなるわけ。
風景が綺麗なのは、その場にいたときの視野の広さ、空気の匂いや風の音、光のあたたかさ、それこそ五感を使って感じていたから。写真を撮っても、あとから見たらそんなに感動しないというのはそういう理由から。それを単純に絵に起こすのはさ、厳しいでしょ。
プロの写真家が撮る風景写真は、そういう感動をそれまでの知識や経験、カメラ技術を総動員して撮影しているからこそ美しいんです。君たちはその意気込みでスナップ写真を撮っているかい?って話です。しかも、そんな素晴らしい写真を、絵画として表現できるかな?写真のほうが素晴らしいなら、それは意味はないんですよね。

赤ちゃんがかわいいから描きたいというのは、単純に赤ちゃんはかわいいものであって、そこにはやはり匂いやあたたかさなどはスナップからは感じ取りにくい。ただ「かわいい」絵にしかならない可能性が高いのです。しかも他人の赤ちゃんならなおさらでしょう。
ワンちゃんも同様。しかも動物はふわふわだったりするため骨格をとらえるのが難しく、気をつけないとおそろしく平面的な絵になりがちです。ただ、かわいいから〜ってだけ。そんなのには意味はない。

だからテーマとなるものをしっかりいろいろ考えた上で、やっぱり外を歩いてリアルな風景や情景から思いをふくらませることが大事なのではないでしょうか。
そこで見つけたものや風景に心動かされて、これは綺麗だから描いてみたい、それは、間違いないのです。それこそが「テーマ」なんです。その感動を表現するために、その場で「資料」となる写真を様々な角度からたくさん撮ってきて取材し、検討すべきなのです。
たった1枚の奇跡の写真があったとしても、それをそのまま描くのであれば、ただの写真の模写になりかねません。やはり、リアルでアナログ的な取り組みが必要になるのです。

アニメーションの相談でよくあるのは、作りたいものがアニメのワンシーンのような作品。アニメのワンシーンって、結局前後の話の関係などがあるため、「ただ動いて終わった」という、起承転結もくそもないなんとも謎な作品になりがちです。
「動かせばいい」というのは、単なる「練習」レベル
でしかない。それは作品とは…呼べませんよね。そういうのを「習作(作品を作るための練習)」といいます。
「映像作品」としてのテーマを持ち、起承転結をしっかり考えること。そして必ずしも「人型のキャラクター」にこだわらなくていい(ここ大事)のです。そしてある程度の「尺」を持たせること。高文連に出品していい映像作品の尺のリミットは3分、180秒です。3分間フルのキャラがぐりぐり動くアニメーションはなかなか地獄的な作業量になるため厳しいですが、これもキャラの描き方を工夫すればなんとでもなります。
発想が「アニメはこうでなくてはならない」と凝り固まっている人は、本当に要注意です。秒間10コマで1分、60秒のアニメを作るとなると、単純計算で600枚の絵を描かなくてはならない。出品日は8月3日。てことは最終的に動画として編集することを考えると最悪7月いっぱいで完成させなくてはならない。残り40日ありません。ラフ描いて、清書して、色つけて、1枚完成。一日の部活時間、せいぜい2時間。それで1日に2〜30枚描かないと間に合わないのです。決まるのが遅ければ、ますます1日に描かなきゃならない量が増えていく。ちょっと計算すりゃわかる話ですよね。算数です。
どう、思いますか…。そりゃ「間に合うのか?」ってなりますよね。1枚絵を描くだけならすごいのを描けそうな人がいっぱいいるんですが、アニメーションはそうではないですからね。そりゃ時間が無限にあるなら別ですが。

ま、秒間1コマだと、1分で60枚。これならなんとかなるかもしれない。でそれだと紙芝居みたいになりそう…。。

でもさ、逆に、もしかしたらそういう映像の見せ方もあってもいいかもしれないんじゃないでしょうか。
発想の転換というのは、そういうことなんです。「いわゆるアニメーション」にこだわりすぎないで考えると、新たな見せ方が思いつくかもしれない。絵画だってそう。「こうでなければならない」という考え方は、時に足かせとなります。
私が思うに、その素直で柔軟な思いつき、発想の転換が「美術」的な発想なのではないでしょうか。こうでなくてはならない、というのは、美術にとっては一番避けなければならないことだと思うんだよね…。

高橋先生も、必死でその構図の考え方について解説していました。みんな、わかったかな…。
私もちょっとだけ顔出して聴いていたのですが、ホントまったくそのとおり…って思いながら、うんうん頷いていました。

にしても、高橋先生、熱くなりすぎて血管切れるんじゃないか心配でした笑
でも、それくらい情熱を持って部員たちに向き合っているんです。別に怒ってるわけじゃないんですよ。受け止めろーー受け止めろよ、部員諸君…!!高橋先生みたいなくっそ忙しい人が時間割いて準備して解説の時間確保してくれてるんだからなーー!

なんか長くなってキリが無くなってきました(いつものことですけど)。
ライトなブログにしたかったのに〜こんなんじゃ誰も読まないわ…ってわかってるんですけど、ゆ、指が勝手に…キーボードを叩き続けるんです。。。

というわけで、明日から部活再開です!ソーシャルディスタンスと換気、消毒を大切にして、なんとか頑張っていきましょう!
感染者が出たら、その時点で多分部活は中止です。そうならないよう、、お互い気をつけましょう…。。

おまけ。
学校祭のポスター班、話し合いを進めています。しかしなかなかこれだというものが見つかっておりません…。

でもだんだん何かが見えてきているような…。高文連もあるし、なんとか進めていきたいところです。頑張ろう…!!

おまけ2。
準備室にやってきた部員たちが高橋先生が制作中の巨大な絵画を見て、ほへーってなっているところ。

ほら、もうこれだけでも絵画の構図になりますよね。作品を尊敬の眼差しで見つめるその視線が美しい。これこそが「テーマ」ってやつです。あ、話がそれた。

おまけ3。
無邪気に手を降って帰宅する部員たち。

はー、無邪気でいいもんです。子どもは無邪気が一番よ…。

コメント

  1.  激熱なブログ。運動部と文化部という違いはあるものの、中身は同じ。すごい発見でした。激熱です。熱すぎて私もテンションが上がりました。筆者の熱さに心打たれたので、部活動の指導に行ってまいります!
     では、厚別高校の顔の「美術部」諸君! 頑張れ〜!!

    • 2−7担任様、コメントありがとうございます。
      よくぞこの辺境のブログにたどり着いてくださいました。
      運動部と文化部。確かに違うように感じますが、「本気」でやることに運動部も文化部も違いはないと考えています…!
      これからも不定期でアップしていきますので、今後とも応援どうぞよろしくお願いいたします!

  2. 7月に突入し、いよいよ高文連石狩支部大会まであと1ヶ月、自分で「限界」を決めることは絶対しない!どこまでやり抜くか。そこが、ここからの人生を決める(大げさ?)。高校生は、これから社会に出て行くための勉強の期間です。手を抜いて楽をする事を覚えるか、全力でやって充実する事を覚えるか、あなた次第です。頑張って👍

    • 高橋先生、コメントありがとうございます。
      部活動を本気で取り組むことで得られることの大きさをぜひ体感してほしいですね。
      もう1ヶ月切りましたが、部員に負けず頑張っていきましょう!
      厚高での初の高文連、楽しみです!

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